祖父が他界して3週間が経ち、少しづつですが故人のいない寂しさに
涙を流す時間が短くなってきました。
最期は在宅医療での日々だったので、ほぼ寝たきりになってからは
祖父にブザーで昼夜問わず度々呼び出される介護生活でした。
そのため、亡くなってから2週間ほどは、深夜に祖父が苦しんでいる
声が聴こえた気がしたり、物音がすると祖父がトイレに起きだしたのでは?
介助しなくては!と廊下に出てしまったり、介護生活の癖がなかなか抜けず、
介護をほぼワンオペで担っていた私の体調にも変調をきたしていたので…。
トイレに歩行器を使って自力で歩いて用を足せていた頃は、
力んで体力を使い切ってしまい、肩で息をして自力で立ち上がれなく
なってしまい、介助技術の無いど素人の私が便座から祖父を起こし、
パンツを上げ、トイレからベッドまで僅か3mほどの距離を、途中椅子に
座って休憩してもらい、2~30分かけて歩行器で戻ってもらうことも
ありました。
介護未経験の健常者が想像もできないほど、トイレに行って用を足して
ベッドに戻るという簡単な動作が毎回驚くほど体力を使うことなのだと
学びました。
いよいよ歩行器に頼っても自力歩行で転倒のリスクが高まり、
車椅子生活になってからは、ベッドに横付けするようにポータブルトイレを
都度移動させて、ベッドから立ち上がり便座に座る前にズボンと介護パンツを
下ろしてあげる介助、そして用を足し終えてから、ベッドの手すりにつかまり
中腰の姿勢をキープするのも必至の祖父の体力をなるべく温存するべく、
手早くしっかりとお尻を拭いてパンツとズボンを上げ、ベッドに安全に座らせて
あげる介助が必要になります。
ベッドから便座にスムーズに体勢を移動するためには、便座より少しベッドの
高さを高くしてあげると楽なようでした。
逆に便座からベッドに戻る時はベッドの高さを少し下げます。
実際に介護をしてみて、ポータブルトイレにはいろいろなタイプがありますが、
やはり肘掛けと背もたれ付きのどっしりと安定したポータブルトイレを購入して
よかったと思っています。
介護グッズをいろいろと購入した中でも、ポータブルトイレの安定性と排泄物を
簡単に処理することができること。この2点は特に介護をする側のストレスを
かなり緩和してくれると思いました。
介助がしやすくお手入れも楽なポータブルトイレのおかげで介護する側もストレス軽減されました。
便座に座る動作、便座から立ち上がる動作は要介護者にとっては、
本当に体力を使う動作です。
トイレがどっしりと安定感がなければ転倒の恐れもあります。
肘かけが無ければなかなか立ち上がることもできません。
最終的にポータブルトイレから私一人の介助ではベッドに戻してあげられなくなり、
訪問看護師さんを呼んで助けてもらいました(看護師さん本当にすみませんでした)
排泄物の処理も都度バケツをはずして中身を捨てて洗って…と清潔に
保つことは家族複数が協力的な家庭でなければかなりの労力、ストレス
になると感じました。
特に我が家はほぼ私ひとりで介護していたので、
尿を数回分吸収してくれるポータブルトイレ用袋
をネットで購入して使っていました。
尿量にもよりますが、祖父の場合は2~3回分の尿なら交換不要で、
便座の蓋が閉まっていれば匂いも気になりませんでした。
トイレから袋をはずして紐で縛ってにおわない袋に入れ燃えるゴミとして
ポイと捨てられるので本当にたすかりました。
便だけは都度交換、トイレに捨てる手間は必要でしたが、それでもかなり楽です。
ついにオムツ生活に突入してからのお話は次の機会に。
介護中はなかなか外出ができなかったのでネットお取り寄せ様様でした。
涙を流す時間が短くなってきました。
最期は在宅医療での日々だったので、ほぼ寝たきりになってからは
祖父にブザーで昼夜問わず度々呼び出される介護生活でした。
そのため、亡くなってから2週間ほどは、深夜に祖父が苦しんでいる
声が聴こえた気がしたり、物音がすると祖父がトイレに起きだしたのでは?
介助しなくては!と廊下に出てしまったり、介護生活の癖がなかなか抜けず、
介護をほぼワンオペで担っていた私の体調にも変調をきたしていたので…。
トイレに歩行器を使って自力で歩いて用を足せていた頃は、
力んで体力を使い切ってしまい、肩で息をして自力で立ち上がれなく
なってしまい、介助技術の無いど素人の私が便座から祖父を起こし、
パンツを上げ、トイレからベッドまで僅か3mほどの距離を、途中椅子に
座って休憩してもらい、2~30分かけて歩行器で戻ってもらうことも
ありました。
介護未経験の健常者が想像もできないほど、トイレに行って用を足して
ベッドに戻るという簡単な動作が毎回驚くほど体力を使うことなのだと
学びました。
いよいよ歩行器に頼っても自力歩行で転倒のリスクが高まり、
車椅子生活になってからは、ベッドに横付けするようにポータブルトイレを
都度移動させて、ベッドから立ち上がり便座に座る前にズボンと介護パンツを
下ろしてあげる介助、そして用を足し終えてから、ベッドの手すりにつかまり
中腰の姿勢をキープするのも必至の祖父の体力をなるべく温存するべく、
手早くしっかりとお尻を拭いてパンツとズボンを上げ、ベッドに安全に座らせて
あげる介助が必要になります。
ベッドから便座にスムーズに体勢を移動するためには、便座より少しベッドの
高さを高くしてあげると楽なようでした。
逆に便座からベッドに戻る時はベッドの高さを少し下げます。
実際に介護をしてみて、ポータブルトイレにはいろいろなタイプがありますが、
やはり肘掛けと背もたれ付きのどっしりと安定したポータブルトイレを購入して
よかったと思っています。
介護グッズをいろいろと購入した中でも、ポータブルトイレの安定性と排泄物を
簡単に処理することができること。この2点は特に介護をする側のストレスを
かなり緩和してくれると思いました。
便座に座る動作、便座から立ち上がる動作は要介護者にとっては、
本当に体力を使う動作です。
トイレがどっしりと安定感がなければ転倒の恐れもあります。
肘かけが無ければなかなか立ち上がることもできません。
最終的にポータブルトイレから私一人の介助ではベッドに戻してあげられなくなり、
訪問看護師さんを呼んで助けてもらいました(看護師さん本当にすみませんでした)
排泄物の処理も都度バケツをはずして中身を捨てて洗って…と清潔に
保つことは家族複数が協力的な家庭でなければかなりの労力、ストレス
になると感じました。
特に我が家はほぼ私ひとりで介護していたので、
をネットで購入して使っていました。
尿量にもよりますが、祖父の場合は2~3回分の尿なら交換不要で、
便座の蓋が閉まっていれば匂いも気になりませんでした。
トイレから袋をはずして紐で縛ってにおわない袋に入れ燃えるゴミとして
ポイと捨てられるので本当にたすかりました。
便だけは都度交換、トイレに捨てる手間は必要でしたが、それでもかなり楽です。
ついにオムツ生活に突入してからのお話は次の機会に。
介護中はなかなか外出ができなかったのでネットお取り寄せ様様でした。
久々すぎてブログのパスワードを失念してしまい焦ったー。
気持ちの整理をする意味も込めてブログに祖父の闘病記録も残しておこうかな。
胃がんステージ1Aから胃全摘出手術から2年半。
幸いがんの転移は無し。
胃が無い人とは思えないほど食欲旺盛で体重もかなり術前に近く戻り
元気に過ごしていた祖父だが、2020年4月に脱腸を繰り返し、外科の医師と相談の上4月20日にヘルニア手術を受けた。
脱腸手術後、すぐに歩行リハビリを受けたおかげげ杖を持ちながら、ほぼ普通に歩行ができるように回復。
94歳で本当にすごい。
しかし脱腸手術後から食がだんだん細くなっていく。
毎月の定期検診はとくに異常なしとのこと。
2021年1月に予定していた祖母の2周忌の法要はコロナ禍もあって延期。
おせち料理やお雑煮を少しづつだが1人前ふつうに食べて、お屠蘇も飲める体調。
コタツで寝るのは身体に良くないと説得するが、ベッドは嫌だと介護ベッドのレンタルを祖父が解約してしまい、
冬中コタツに足を入れてお布団で寝るようになったのだが、この辺りから疲れやすくなり、食がさらに細くなる。
2021年2月20日の誕生日には元気になると言っていたが、2月中旬、お風呂上りに立てなくなったり、
下痢と便秘を繰り返し明らかに弱っていったため、胃腸科クリニックを受診。
総合病院への紹介状を出され私の車で移動。外の景色を見る余裕もほとんど無いほど苦しそう。
そのまま脱水症状が重いとのことで入院。
この時、担当してくださった医師から心臓弁膜症を持っていることを初めて聴かされる。
弁膜症自体は1年半前から診断されていたようだが主事医からは何の説明も無かったので小さな不信感。
95歳のお誕生日は病室で面会もできない中で迎えた。
2021年4月2日にようやく退院。
歩行器を使えば歩ける体調。
家の食事は美味しいと言ってがんばって食べてくれていたのだが、4月26日ダイニングまで来て
食欲が無いと言って部屋へ戻ろうとして廊下で立っていられなくなり慌てて椅子に座ってもらい、
息が整うまで休んで部屋へ戻ってもらったのだが、その後トイレから立てなくなり訪問看護さんに
来ていただいたタイミングで車椅子で病院へ移動になり、そのまま再入院になってしまう。
2021年5月26日
食事量がかなり減ってしまい、トイレもベッド脇のポータブルトイレにて介助有りでなんとか自力で用を足せる状態だが、
祖父が家に帰りたいと強く願ったこともあり退院。
リクライニング車いすをレンタルして病院からの移動は介護タクシーを使用。
5月27日~30日まで在宅にて点滴。
退院後3日間はメイバランスを1日2本、食事も少量ながら食べられていたのだが、
ポータブルトイレから立ち上がれなくなり、私ひとりの介助ではベッドに戻してあげられず訪問看護師さんのお世話になる。
5月31日介護タクシーを利用して病院へ退院後健診へ。
ケアマネさんはじめ在宅介護に関われた方々が全員揃っていたのでおかしいな?と思う。
特に変化は無いとのことで帰宅。
6月2日に初めての訪問入浴を利用してリフレッシュできたらしい。
6月3日病院から自宅が徒歩5分の距離ということもあり、訪問医師ではなく主治医が自宅を訪問して診察。
点滴は一度中断しましょうとのこと。
排便、排尿が自力でできなくなり、毎日訪問看護師さんが嫡便、尿管に管を通しての排尿をしてくれるようになった。
祖父自身、頭はしっかりしており、おむつで完全介助生活に心を痛めていた模様。
夜間、せん妄が2度ほどあり、呼び鈴で度々呼び出され、私にには見えないものが見えているようでせつなくなる。
6月4日深夜、全身が痛いと暴れるので訪問看護師を呼ぶ。
身体を撫でて落ちつかせてもらい就寝したところで看護師さんからいつ呼吸が止まってもおかしくない状態と言われる。
深夜だったが隣町に住む長男である叔父を召集。早朝まで祖父の容体は安定していたので帰宅してもらう。
6月5日朝食を持っていくと、今日は体調が良いと言うが、お粥を2口お味噌汁を1口程度しか食べられない。
しかし久しぶりにベッドを起こして新聞を読み、叔父と昼前まで野球を見ながら楽しそうに話していた。
6月6日いよいよ何も食べられなくなり、喉が渇いたと言うのでスポンジにカルピスを口に含ませてあげると「うまいなー」と。
その後もヤクルトは甘いから別のジュースが飲みたいというのでオレンジジュースをスポンジで口に含ませてあげると、
満足したようだった。
パパッと夕食を食べ終えると苦しそうにうめく声が聴こえたので駆けつけると、胸が苦しいとのこと。
20時だったが訪問看護師に再び来てもらう。
意識レベルが下がり、呼吸が30秒近く止まって再開するという終末期症状を目の当たりにして足がすくむ。
看護師から「しっかりして!」「ひとりで看取る勇気はある?」と問われて「無理です」と答えた。
ベテラン看護師さんは「よし、わかった」とテキパキと入院手配を進めてくれてゴーサインをいただいてから救急車を呼んだ。
搬送される際、救命士さんから「意識確認を」と声をかけられると祖父は手を上げて答えていた。
叔父夫妻に電話連絡して病院に来てもらう。
点滴をしてもらい、少し容体が安定したところで連日ワンオペ介護だったため睡眠不足で倒れそうだったので仮眠したいと叔父夫婦に告げたのだが、当然付き添ってくれると思っていた叔父夫妻は22時30分にはタクシーで帰宅してしまった。
祖父をひとりにしたくなくて頑張ったのだが、体力の限界を感じて23時に仮眠のため帰宅。
3時に病棟看護師からさらに意識レベルが下がったと電話連絡があり。
叔父夫婦に電話連絡をして急いで病室へ戻る。
すでに痛みは感じられないほど意識が薄れている祖父の手を握って午後3時に息をひきとるまで可能な限りそばにいられたので、家で看取ることはできなかったけれどギリギリまでは願いを叶えてあげられたと思っている。
短い間にあっという間に去ってしまった祖父。
私に長い間介護をさせたくなくて祖母が急いで迎えに来てしまったのかななどと思いながら今夜も弔い酒でほろ酔いである。
ケアマネさん、訪問看護師さん、ヘルパーさん、訪問入浴の業者さん、たくさんの介護のプロの支え無しでは、最後は自宅で過ごしたいという祖父の願いは叶えられなったと思います。
本当に感謝しかありません。
気持ちの整理をする意味も込めてブログに祖父の闘病記録も残しておこうかな。
胃がんステージ1Aから胃全摘出手術から2年半。
幸いがんの転移は無し。
胃が無い人とは思えないほど食欲旺盛で体重もかなり術前に近く戻り
元気に過ごしていた祖父だが、2020年4月に脱腸を繰り返し、外科の医師と相談の上4月20日にヘルニア手術を受けた。
脱腸手術後、すぐに歩行リハビリを受けたおかげげ杖を持ちながら、ほぼ普通に歩行ができるように回復。
94歳で本当にすごい。
しかし脱腸手術後から食がだんだん細くなっていく。
毎月の定期検診はとくに異常なしとのこと。
2021年1月に予定していた祖母の2周忌の法要はコロナ禍もあって延期。
おせち料理やお雑煮を少しづつだが1人前ふつうに食べて、お屠蘇も飲める体調。
コタツで寝るのは身体に良くないと説得するが、ベッドは嫌だと介護ベッドのレンタルを祖父が解約してしまい、
冬中コタツに足を入れてお布団で寝るようになったのだが、この辺りから疲れやすくなり、食がさらに細くなる。
2021年2月20日の誕生日には元気になると言っていたが、2月中旬、お風呂上りに立てなくなったり、
下痢と便秘を繰り返し明らかに弱っていったため、胃腸科クリニックを受診。
総合病院への紹介状を出され私の車で移動。外の景色を見る余裕もほとんど無いほど苦しそう。
そのまま脱水症状が重いとのことで入院。
この時、担当してくださった医師から心臓弁膜症を持っていることを初めて聴かされる。
弁膜症自体は1年半前から診断されていたようだが主事医からは何の説明も無かったので小さな不信感。
95歳のお誕生日は病室で面会もできない中で迎えた。
2021年4月2日にようやく退院。
歩行器を使えば歩ける体調。
家の食事は美味しいと言ってがんばって食べてくれていたのだが、4月26日ダイニングまで来て
食欲が無いと言って部屋へ戻ろうとして廊下で立っていられなくなり慌てて椅子に座ってもらい、
息が整うまで休んで部屋へ戻ってもらったのだが、その後トイレから立てなくなり訪問看護さんに
来ていただいたタイミングで車椅子で病院へ移動になり、そのまま再入院になってしまう。
2021年5月26日
食事量がかなり減ってしまい、トイレもベッド脇のポータブルトイレにて介助有りでなんとか自力で用を足せる状態だが、
祖父が家に帰りたいと強く願ったこともあり退院。
リクライニング車いすをレンタルして病院からの移動は介護タクシーを使用。
5月27日~30日まで在宅にて点滴。
退院後3日間はメイバランスを1日2本、食事も少量ながら食べられていたのだが、
ポータブルトイレから立ち上がれなくなり、私ひとりの介助ではベッドに戻してあげられず訪問看護師さんのお世話になる。
5月31日介護タクシーを利用して病院へ退院後健診へ。
ケアマネさんはじめ在宅介護に関われた方々が全員揃っていたのでおかしいな?と思う。
特に変化は無いとのことで帰宅。
6月2日に初めての訪問入浴を利用してリフレッシュできたらしい。
6月3日病院から自宅が徒歩5分の距離ということもあり、訪問医師ではなく主治医が自宅を訪問して診察。
点滴は一度中断しましょうとのこと。
排便、排尿が自力でできなくなり、毎日訪問看護師さんが嫡便、尿管に管を通しての排尿をしてくれるようになった。
祖父自身、頭はしっかりしており、おむつで完全介助生活に心を痛めていた模様。
夜間、せん妄が2度ほどあり、呼び鈴で度々呼び出され、私にには見えないものが見えているようでせつなくなる。
6月4日深夜、全身が痛いと暴れるので訪問看護師を呼ぶ。
身体を撫でて落ちつかせてもらい就寝したところで看護師さんからいつ呼吸が止まってもおかしくない状態と言われる。
深夜だったが隣町に住む長男である叔父を召集。早朝まで祖父の容体は安定していたので帰宅してもらう。
6月5日朝食を持っていくと、今日は体調が良いと言うが、お粥を2口お味噌汁を1口程度しか食べられない。
しかし久しぶりにベッドを起こして新聞を読み、叔父と昼前まで野球を見ながら楽しそうに話していた。
6月6日いよいよ何も食べられなくなり、喉が渇いたと言うのでスポンジにカルピスを口に含ませてあげると「うまいなー」と。
その後もヤクルトは甘いから別のジュースが飲みたいというのでオレンジジュースをスポンジで口に含ませてあげると、
満足したようだった。
パパッと夕食を食べ終えると苦しそうにうめく声が聴こえたので駆けつけると、胸が苦しいとのこと。
20時だったが訪問看護師に再び来てもらう。
意識レベルが下がり、呼吸が30秒近く止まって再開するという終末期症状を目の当たりにして足がすくむ。
看護師から「しっかりして!」「ひとりで看取る勇気はある?」と問われて「無理です」と答えた。
ベテラン看護師さんは「よし、わかった」とテキパキと入院手配を進めてくれてゴーサインをいただいてから救急車を呼んだ。
搬送される際、救命士さんから「意識確認を」と声をかけられると祖父は手を上げて答えていた。
叔父夫妻に電話連絡して病院に来てもらう。
点滴をしてもらい、少し容体が安定したところで連日ワンオペ介護だったため睡眠不足で倒れそうだったので仮眠したいと叔父夫婦に告げたのだが、当然付き添ってくれると思っていた叔父夫妻は22時30分にはタクシーで帰宅してしまった。
祖父をひとりにしたくなくて頑張ったのだが、体力の限界を感じて23時に仮眠のため帰宅。
3時に病棟看護師からさらに意識レベルが下がったと電話連絡があり。
叔父夫婦に電話連絡をして急いで病室へ戻る。
すでに痛みは感じられないほど意識が薄れている祖父の手を握って午後3時に息をひきとるまで可能な限りそばにいられたので、家で看取ることはできなかったけれどギリギリまでは願いを叶えてあげられたと思っている。
短い間にあっという間に去ってしまった祖父。
私に長い間介護をさせたくなくて祖母が急いで迎えに来てしまったのかななどと思いながら今夜も弔い酒でほろ酔いである。
ケアマネさん、訪問看護師さん、ヘルパーさん、訪問入浴の業者さん、たくさんの介護のプロの支え無しでは、最後は自宅で過ごしたいという祖父の願いは叶えられなったと思います。
本当に感謝しかありません。