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久しぶりの更新。
このブログに品川の路地で出逢った仔猫を家に迎え入れた日のことを書いた、その子が4月21日23時40分に虹の橋を渡ったので記録を。

いつもの歯肉炎の症状がちょっと今回はひどくて大好きな食事がままならない様子を見て病院へ連れて行ったところ、口内に腫瘍ができているとの診断。
切除するには20万円を超える費用がかかり、顎の一部も切除する症例が多い上に予後も良くなく1年延命できるか…という絶望的な現実をつきつけられた。

もうメグは15歳の熟女にゃんさんなので手術をせず、痛み止めと化膿止め薬を服薬しながら余生を好きなものを食べて生きられるところまでがんばってもらうことにした。

幸いお薬を飲み始めてからは食欲旺盛で、早朝から私の頭をべしべしと猫パンチしてごはんを催促して、元気に家の中を歩き回るくらいに回復したのだが、ある日ジャンプを怖がるようになり瞳孔が開きっぱなしになってしまった。

病院に連れて行くと腫瘍が視神経を圧迫してほぼ見えていないとの診断。

水飲み場を4段箪笥の上に設けていたため、水飲み場を変えず、階段やスロープをいつものぼっていたルートに簡易的に作って誘導したところ、目が見えなくてもいつもの水飲み場、猫ベッドには上がれるようになって一安心。

寒い寒い冬を目が見えなくなっても自力で歩いて台所までごはんをせがみに来て、留守中は部屋の中でマイペースにいつも通り過ごし春を迎えた。

目が見えなくなってからはシステムトイレの段差を嫌ったので、犬用ペットシートを敷き、そこへ排泄に行くスタイル。
トイレの粗相は日常的になってカーペットに臭いが染み付いて洗っても追いつけなくなったけれど、最後の日まで私のベッドまわりには粗相は一度もしなかった。ほんとにすごい。

4月に入るとふらつきがひどくなり、水飲み場から落ちてしまい、夜泣きがひどくなったので介護用に折り畳みソフトケージを購入。
嫌がって鳴く時間帯もあったけど私の目が届かない時間帯に落下したりぶつかって怪我をしないようにに我慢をしてもらったけど、私がそばにいて起きている間は部屋中自由に動いてもらっていた。

21日早朝に鳴き止まないのでケージのふぁすなーを開けると自力で出て、大好きなピュリナフィリクス半袋をしっかり食べ、私のベッドの上によじ登り畳んだかけ布団の上に介護用シートを被せたところで寝入ったので、そのまま私はいつも通り出社した。

帰宅するとペットシートが剥がされ、掛け布団の上にぐっしょり粗相をした上で首だけ起こして私にお帰りと挨拶した後は意識レベルがどんどん下がっていき、お水をスポイトで与えたところごくんと飲み込むのも苦しそうだったのでいよいよかな…と看取りの覚悟を決めた。

会社に電話をかけ、明日早退か昼休みに中抜けする了承を得て、歴代ペットたちを埋葬している山に埋葬させともらう許可を叔父にとる。

夕食とお風呂をさくっと済ませて、意識がもうほとんど無いメグを毛布ごと膝に乗せてのんびり夜時間を過ごす。

23時を過ぎてから呼吸が30秒〜1分ほど止まり心拍だけが身体を動かすようになり、30分を過ぎてからは切ない鳴き声をときどきあげながら手脚を必死に伸ばして起きようとするメグに声をかけながら、お礼と労いの言葉をかけて見守る。

鼓動が完全に止まるまで膝の上で手を握って見送れたので、心残りは最小限で済んだかな。

今日、仕事が休みなのでメグを埋葬した見晴らしの良いお墓でゆっくりお花を手向け、お線香をあげてお別れもできました。

うちの子でいてくれてありがとう。

東京と実家を何往復もペットケージの中でおとなしく一緒に移動してくれたし、優しくてまろやかな最高の箱入り娘だったよ。
病気で辛かっただろうけど最後まで大好きなごはんを食べられて、長く苦しまずに虹の橋を渡れてよかったね。

メグのことかわいがってくれたじじとばばがそちらで待ってるから天国でまた仲良くね。

15年間ほんとうにいいこでした。
おつかれさま。
ゆっくりやすんでね。

私も泣くのは今日までにするから心配しないでね。



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※コロナ禍以前の宿泊記です。

高輪ゲートウェイ駅が開業する前、オープンしたての
都シティ東京高輪にバースデーステイで訪れた時の
宿泊記を少し。

いつものように一休.comで予約検索をしていたところ、
レインボーブリッジどーん!な夜景が臨めるお部屋
の写真を発見。
セルフバースデー祝いだし、おひとりさまでキングサイズ
を満喫しよう♪と即決したのがデラックスキングダブルの
お部屋。

いざ、現地からの景色は如何ほどか?!
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はーい!
青空にレインボーブリッジ!
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キングサイズベッドにコーナーソファどーん!
一休.comに掲載されている景色と同じですね。

この当時はまだ高輪ゲートウェイ駅の工事現場が
レインボーブリッジの前に広がっていて、季節限定的
なレア感も味わいつつ…

銀座での朗読劇のためにチェックインしてお着換え
をして再びお部屋に戻った頃にはすっかり夜景に
変わっていましたよ。
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夜間も工事続行中だった駅舎付近の照明と
後方に煌めくレインボーブリッジがまぶしい!!
修正ソフトや加工はしていないので色彩は
プロ撮影のものよりかすんでますがリアルで
目撃した夜景は写真では伝えられない美しさで
びっくりするほど長時間ずっと夜景を眺めて
過ごしました。

都シティ東京高輪さんはバスルームも
トイレバスセパレートなのがこのクラスの
ホテルではすごく高ポイントですね。
写真撮り忘れたので一休.comの館内写真で
確認してみてください。
トイレとバスルームを隔てているのは
ガラス!ブラインドを開ければなんと!
ベッドルームからも丸見えです!
きゃーきゃー!!
おひとりさま利用なのでブラインド閉めて
普通に入りましたけど・笑
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朝食は1階に入っている『and Which?』さんの
カラフルホットサンドとセミビュッフェで。
見た目も盛れてるしお味もとっても美味!
なんならランチもここで食べたいと思った
くらいにはおいしかったです。

こんなご時世なので地方から東京の素敵な
ホテルに泊まりにいくこともままならない日々が
続いていて残念ですが、都内住みの方は旅行を
自粛する代わりに都内でちょっと贅沢ステイで
気分転換するのいいかもですね。
野球解説者の大島康徳さんが先月末に逝去されていた
というニュースを目にして、ちょうど先月初旬に逝去した
祖父の闘病生活を思い出しました。

闘病されたご本人はもちろんですが、数年に渡りそばで
支えられてきたご家族にも本当に心からお疲れさまでした。
と言葉を送りらせていただきます。

介護可能な家族の仕事が休めず、同居していた家族も
高齢で在宅介護が難しく、要介護4認定を受け自力で
歩けなくなった直後から5年近く老人介護施設のお世話に
なり、最後まで帰宅が叶わなかった祖母。

私が体調不良静養のため実家に戻っていたタイミングで
要介護状態になった祖父は在宅医療という選択肢を選ぶ
ことができました。

実際に家族が要介護状態になった時、在宅介護を
選択できる家族と、そうでは無い家族がいるという現実、
また、高齢者の在宅医療というのは実質看取り介護生活
であることを当事者になって初めて知りました。

もちろん、在宅医療利用をされながら数年自宅で
過ごされる方もいらっしゃいます。
お隣のおばあちゃんは高カロリー栄養ドリンクとゼリーで
5年在宅介護生活を生き100歳で大往生されましたし。

介護の栄養管理に!手軽な高エネルギー食品!ネスレのゼリー アイソカル ゼリー ハイカロリー

『口から食べられること』
必要カロリー分、口から食べられているうちは
まだまだ長生きできる希望が充分あると思いました。

私の場合は逆に摂取カロリーを制限してもなかなか
体重が減らないことを悩みですが・・・

『咀嚼する』
健常者には無意識にできる簡単な動作ですが、闘病
されている方や高齢者にとっては思っていた以上に
体力を使う動作なのだと学びました。

小さなプリン1個食べきるのに途中で疲れてスプーン
が止まってしまう。
口に運んであげてもなかなか飲み込むことができず
苦しさに顔をしかめたりする。

食べられる量が減り、食べなれた家庭の料理だけでは
1日に必要な栄養素やカロリーが足りなくなってからは、
市販の高カロリー栄養ドリンク・食品を飽きずに飲んで
食べてもらうことに工夫する日々だったなぁ。

早いもので明後日はもう最初の月命日です。
九段下のホテルグランドパレスが昨日をもって49年の営業を終了したと知り思わず「えっ?」と声に出すくらい驚いた。

このコロナ禍が収束したら、またバースデーステイに行きたいなと考えていたからまさかのニュース。

2019年3月にバースデーステイ2泊目に選んだのがホテルグランドパレスだったなぁ。

武道館でのイベント参加時や飯田橋から神保町までぶらりと歩いた時には高くそびえ立つ老舗ホテルのエントランス横の滝付近から見上げて、いつか泊まってみたいと思っていたので、所用が近場であり、セルフバースデー祝いにと初めて宿泊予約が取れたことが嬉しかったんだよね。3月桜の季節、武道館でイベントがある日は予約が取りづらいホテルだったから。

バースデーステイ当日、チェックイン予定時間より1時間ほど早く九段下に到着したので、先に荷物だけ預かってもらって神保町の純喫茶ランチをとろうとフロントに向かう。
笑顔で迎えてくださった上にお部屋のご用意ができておりますのでご案内致しますとのこと。

アサインされたお部屋はなんと!
客室としては最上階の広いお部屋でした。
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眼下には皇居から都心が広がるツインルーム!
私が一休で予約したのはシングルルームだったのですが、
予約した際メッセージ欄に『おひとりさまバースデーステイ』と書いていたため、当日上階のお部屋に空きがあったとのことで、ホテルさんからの粋なアップグレード祝いをいただいたようです。
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昼間も圧巻の眺めでしたが、友人たちと久しぶりに語らいディナーを一緒にする別の友人と待ち合わせるまでお部屋でひと休み…と!そこには煌めくTOKYO CITY LIGHTSが‼︎
そして季節柄ライトアップされた桜並木も!
もう感動しかありません。
待ち合わせ時間まで窓辺のソファに座り飽きることなく夜景を一人占めしていました。
見切れ気味ですが左端に東京タワーも!


その後、1階のレストランカトレアにて友人とビュッフェディナーを楽しみ、お部屋とは違う角度で夜景を楽しみたくなり、サービスでいただいた最上階のバーでカクテル一杯無料チケットをありがたく使わせていただき、ピアノの生演奏が心地よいおとなの雰囲気のバーへ足を踏み入れました。
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ホテルグランドパレスオリジナルカクテルで君の瞳に乾杯(※訳:昭和テイストのレトロな雰囲気に酔いました)
美味しい食事とお酒で満たされ誕生日を満喫して、帰路についた友人と別れ部屋に戻ると…

この後深夜にちょっとしたハプニングに見舞われたのですが、長くなったのでつづきは追記にて。
祖父が他界して3週間が経ち、少しづつですが故人のいない寂しさに
涙を流す時間が短くなってきました。

最期は在宅医療での日々だったので、ほぼ寝たきりになってからは
祖父にブザーで昼夜問わず度々呼び出される介護生活でした。

そのため、亡くなってから2週間ほどは、深夜に祖父が苦しんでいる
声が聴こえた気がしたり、物音がすると祖父がトイレに起きだしたのでは?
介助しなくては!と廊下に出てしまったり、介護生活の癖がなかなか抜けず、
介護をほぼワンオペで担っていた私の体調にも変調をきたしていたので…。

トイレに歩行器を使って自力で歩いて用を足せていた頃は、
力んで体力を使い切ってしまい、肩で息をして自力で立ち上がれなく
なってしまい、介助技術の無いど素人の私が便座から祖父を起こし、
パンツを上げ、トイレからベッドまで僅か3mほどの距離を、途中椅子に
座って休憩してもらい、2~30分かけて歩行器で戻ってもらうことも
ありました。

介護未経験の健常者が想像もできないほど、トイレに行って用を足して
ベッドに戻るという簡単な動作が毎回驚くほど体力を使うことなのだと
学びました。

いよいよ歩行器に頼っても自力歩行で転倒のリスクが高まり、
車椅子生活になってからは、ベッドに横付けするようにポータブルトイレを
都度移動させて、ベッドから立ち上がり便座に座る前にズボンと介護パンツを
下ろしてあげる介助、そして用を足し終えてから、ベッドの手すりにつかまり
中腰の姿勢をキープするのも必至の祖父の体力をなるべく温存するべく、
手早くしっかりとお尻を拭いてパンツとズボンを上げ、ベッドに安全に座らせて
あげる介助が必要になります。

ベッドから便座にスムーズに体勢を移動するためには、便座より少しベッドの
高さを高くしてあげると楽なようでした。
逆に便座からベッドに戻る時はベッドの高さを少し下げます。

実際に介護をしてみて、ポータブルトイレにはいろいろなタイプがありますが、
やはり肘掛けと背もたれ付きのどっしりと安定したポータブルトイレを購入して
よかったと思っています。
介護グッズをいろいろと購入した中でも、ポータブルトイレの安定性と排泄物を
簡単に処理することができること。この2点は特に介護をする側のストレスを
かなり緩和してくれると思いました。

介助がしやすくお手入れも楽なポータブルトイレのおかげで介護する側もストレス軽減されました。

便座に座る動作、便座から立ち上がる動作は要介護者にとっては、
本当に体力を使う動作です。
トイレがどっしりと安定感がなければ転倒の恐れもあります。
肘かけが無ければなかなか立ち上がることもできません。

最終的にポータブルトイレから私一人の介助ではベッドに戻してあげられなくなり、
訪問看護師さんを呼んで助けてもらいました(看護師さん本当にすみませんでした)

排泄物の処理も都度バケツをはずして中身を捨てて洗って…と清潔に
保つことは家族複数が協力的な家庭でなければかなりの労力、ストレス
になると感じました。

特に我が家はほぼ私ひとりで介護していたので、尿を数回分吸収してくれるポータブルトイレ用袋
をネットで購入して使っていました。
尿量にもよりますが、祖父の場合は2~3回分の尿なら交換不要で、
便座の蓋が閉まっていれば匂いも気になりませんでした。
トイレから袋をはずして紐で縛ってにおわない袋に入れ燃えるゴミとして
ポイと捨てられるので本当にたすかりました。
便だけは都度交換、トイレに捨てる手間は必要でしたが、それでもかなり楽です。

ついにオムツ生活に突入してからのお話は次の機会に。


介護中はなかなか外出ができなかったのでネットお取り寄せ様様でした。
久々すぎてブログのパスワードを失念してしまい焦ったー。

気持ちの整理をする意味も込めてブログに祖父の闘病記録も残しておこうかな。

胃がんステージ1Aから胃全摘出手術から2年半。
幸いがんの転移は無し。
胃が無い人とは思えないほど食欲旺盛で体重もかなり術前に近く戻り
元気に過ごしていた祖父だが、2020年4月に脱腸を繰り返し、外科の医師と相談の上4月20日にヘルニア手術を受けた。

脱腸手術後、すぐに歩行リハビリを受けたおかげげ杖を持ちながら、ほぼ普通に歩行ができるように回復。
94歳で本当にすごい。

しかし脱腸手術後から食がだんだん細くなっていく。
毎月の定期検診はとくに異常なしとのこと。

2021年1月に予定していた祖母の2周忌の法要はコロナ禍もあって延期。
おせち料理やお雑煮を少しづつだが1人前ふつうに食べて、お屠蘇も飲める体調。

コタツで寝るのは身体に良くないと説得するが、ベッドは嫌だと介護ベッドのレンタルを祖父が解約してしまい、
冬中コタツに足を入れてお布団で寝るようになったのだが、この辺りから疲れやすくなり、食がさらに細くなる。

2021年2月20日の誕生日には元気になると言っていたが、2月中旬、お風呂上りに立てなくなったり、
下痢と便秘を繰り返し明らかに弱っていったため、胃腸科クリニックを受診。
総合病院への紹介状を出され私の車で移動。外の景色を見る余裕もほとんど無いほど苦しそう。
そのまま脱水症状が重いとのことで入院。
この時、担当してくださった医師から心臓弁膜症を持っていることを初めて聴かされる。
弁膜症自体は1年半前から診断されていたようだが主事医からは何の説明も無かったので小さな不信感。
95歳のお誕生日は病室で面会もできない中で迎えた。

2021年4月2日にようやく退院。
歩行器を使えば歩ける体調。
家の食事は美味しいと言ってがんばって食べてくれていたのだが、4月26日ダイニングまで来て
食欲が無いと言って部屋へ戻ろうとして廊下で立っていられなくなり慌てて椅子に座ってもらい、
息が整うまで休んで部屋へ戻ってもらったのだが、その後トイレから立てなくなり訪問看護さんに
来ていただいたタイミングで車椅子で病院へ移動になり、そのまま再入院になってしまう。

2021年5月26日
食事量がかなり減ってしまい、トイレもベッド脇のポータブルトイレにて介助有りでなんとか自力で用を足せる状態だが、
祖父が家に帰りたいと強く願ったこともあり退院。
リクライニング車いすをレンタルして病院からの移動は介護タクシーを使用。

5月27日~30日まで在宅にて点滴。
退院後3日間はメイバランスを1日2本、食事も少量ながら食べられていたのだが、
ポータブルトイレから立ち上がれなくなり、私ひとりの介助ではベッドに戻してあげられず訪問看護師さんのお世話になる。

5月31日介護タクシーを利用して病院へ退院後健診へ。
ケアマネさんはじめ在宅介護に関われた方々が全員揃っていたのでおかしいな?と思う。
特に変化は無いとのことで帰宅。

6月2日に初めての訪問入浴を利用してリフレッシュできたらしい。
6月3日病院から自宅が徒歩5分の距離ということもあり、訪問医師ではなく主治医が自宅を訪問して診察。
点滴は一度中断しましょうとのこと。
排便、排尿が自力でできなくなり、毎日訪問看護師さんが嫡便、尿管に管を通しての排尿をしてくれるようになった。

祖父自身、頭はしっかりしており、おむつで完全介助生活に心を痛めていた模様。
夜間、せん妄が2度ほどあり、呼び鈴で度々呼び出され、私にには見えないものが見えているようでせつなくなる。

6月4日深夜、全身が痛いと暴れるので訪問看護師を呼ぶ。
身体を撫でて落ちつかせてもらい就寝したところで看護師さんからいつ呼吸が止まってもおかしくない状態と言われる。
深夜だったが隣町に住む長男である叔父を召集。早朝まで祖父の容体は安定していたので帰宅してもらう。
6月5日朝食を持っていくと、今日は体調が良いと言うが、お粥を2口お味噌汁を1口程度しか食べられない。
しかし久しぶりにベッドを起こして新聞を読み、叔父と昼前まで野球を見ながら楽しそうに話していた。

6月6日いよいよ何も食べられなくなり、喉が渇いたと言うのでスポンジにカルピスを口に含ませてあげると「うまいなー」と。
その後もヤクルトは甘いから別のジュースが飲みたいというのでオレンジジュースをスポンジで口に含ませてあげると、
満足したようだった。

パパッと夕食を食べ終えると苦しそうにうめく声が聴こえたので駆けつけると、胸が苦しいとのこと。
20時だったが訪問看護師に再び来てもらう。
意識レベルが下がり、呼吸が30秒近く止まって再開するという終末期症状を目の当たりにして足がすくむ。
看護師から「しっかりして!」「ひとりで看取る勇気はある?」と問われて「無理です」と答えた。
ベテラン看護師さんは「よし、わかった」とテキパキと入院手配を進めてくれてゴーサインをいただいてから救急車を呼んだ。

搬送される際、救命士さんから「意識確認を」と声をかけられると祖父は手を上げて答えていた。
叔父夫妻に電話連絡して病院に来てもらう。
点滴をしてもらい、少し容体が安定したところで連日ワンオペ介護だったため睡眠不足で倒れそうだったので仮眠したいと叔父夫婦に告げたのだが、当然付き添ってくれると思っていた叔父夫妻は22時30分にはタクシーで帰宅してしまった。
祖父をひとりにしたくなくて頑張ったのだが、体力の限界を感じて23時に仮眠のため帰宅。

3時に病棟看護師からさらに意識レベルが下がったと電話連絡があり。
叔父夫婦に電話連絡をして急いで病室へ戻る。

すでに痛みは感じられないほど意識が薄れている祖父の手を握って午後3時に息をひきとるまで可能な限りそばにいられたので、家で看取ることはできなかったけれどギリギリまでは願いを叶えてあげられたと思っている。

短い間にあっという間に去ってしまった祖父。
私に長い間介護をさせたくなくて祖母が急いで迎えに来てしまったのかななどと思いながら今夜も弔い酒でほろ酔いである。

ケアマネさん、訪問看護師さん、ヘルパーさん、訪問入浴の業者さん、たくさんの介護のプロの支え無しでは、最後は自宅で過ごしたいという祖父の願いは叶えられなったと思います。
本当に感謝しかありません。
10月15日に薬局前で転倒。
左のおでこ2箇所をコンクリートの段差に打ち出血。
かかりつけの整形外科を受診したところ、骨折などは無いとのこと。
しかし高齢者は1週間後〜1ヶ月ほどかけてゆっくり脳へのダメージが出てくる可能性があるので、様子を見て異常があればすぐに脳外科のある病院を受診するようにとアドバイスを受ける。

11月に入ってから2日に1度10分くらい左目に霧がかかったように見えなくなる異常が繰り返しあると祖父からの申告あり。

11月12日に眼科を受診したところ、視神経の伝達異常の診断。
脳神経内科でMRI検査を行い、術後服用を中止していた血液をサラサラにするお薬の服用再開を指示されて帰宅。

11月18日まで目の異常再発は無し。
11月19日に脳神経内科再受診日。

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